=TOP= of 太宰治原作「女生徒・1936」

このたび、逗子CINEMA AMIGOにご来場いただいた皆さん、
有り難うございました。
おかげさまで、16日の最終日は満員の盛況でした。
また、このホームペーにアクセスしていただいた、多くの皆さんにも、
大いに励まされています。ひきつづき、よろしくお願いします。
(幻野映画プロジェクト一同 2018.6.19桜桃忌)


逗子 CINEMA AMIGO

Outou-ki memorial.
( anniversary that celebrates Osamu Dazai's birthday;
19th June and coincidentally the day his body was found after suicide)


監督からのメッセージ2018.6.3
昭和の戦争の時代から戦後、太宰の繊細な言葉を少女たちが、
語りはじめる...
From the time of the war in Showa period to after the war,
girls started to talk with Dazai's delicate words...

今回の英語翻訳は、太宰文学に関心を持つ、岡本紗衣子/Peter Furlong(ピーター ファーロン)夫妻(逗子在住)が、
旧版を見て全面改定されたものです。
また、この映画音楽のリコーダ曲を担当され、逗子在住の高野浩一さんの企画で、逗子シネマ・アミーゴでの
上映が実現することになりました。
英語字幕での上映があれば、教えて欲しいという要望もあったことなども思い出しながら、一人でも多くの方に、
この映画が届けられればと願っています。



映画「女生徒・1936」を紹介するための五つのポイント(2018.6.5)
1 太宰の少女力を映画から読み解く
NKB48の「太宰治を読んだか」(2013.2.27発売)は、先日MHKBS-3の「AKB48 SHOW」(2013.10.19放送)でも歌われ、テーマは読書の大切さと友情だと語っています。また、ファンの間では、かくれた名曲だともいわれています。これは、現代の若者には、漱石や鴎外でもなく、太宰治だというNKB48(=少女力)のユニットからのメッセージなのだと思います。そして、過去の角川映画の惹句に倣っていえば、「あなたは、太宰治を読んでから観るか、観てから読むか。」

2 日本映画の名監督、小津安二郎、溝口健二、山中貞雄は、無声映画からスタートし、小津安二郎は、遅れてトーキー劇映画『一人息子』を1936年に発表します。映画「女生徒・1936」は、小津映画的なリズムに、映画の始まりである無声映画を意識して観るものに、字幕を読んで貰うことをやっている。そして、その字幕もまた、太宰の言葉、女性の語りでもある。さらに、その言葉は、書き言葉としての「歴史的かなづかい」(字幕)に表記されている。


映画「女生徒・1936」の作風は、観る言葉集と言ってもよいものです。高野てるみ(『恋愛合格! 太宰治のコトバ66』の著者)

3 原作とシナリオの関係を、ロベール・ブレッソン監督の『ジャンヌ・ダルク裁判』の裁判記録のように、太宰の小説の言葉を「現実」として取り込む映画ができないかということの試みでもありました。(監督「自作を語る」)
映画のヒロインたち(少女たち)は演じるのではく太宰治の繊細なことばを現実に語りだす。


4 女性の語りで書かれた太宰作品『燈籠』『女生徒』『きりぎりず』『待つ』を加えた、四作品をもとに、原作が書かれた時代(二・二六事件、日中戦争、太平洋戦争〜)の中で読み解くこと、さらに、全共闘運動の盛り上がりとともに読んでいた、『斜陽』の一節にある「私は確信したい。人間は恋と革命のために生まれて来たのだ」と、この映画の4人のヒロインたちが、『斜陽』のヒロイン「かず子」と、うまく重ならないかなどと、シナリオの構成が考えられていきました。(監督「自作を語る」)

5 この映画を通じて感じてほしいことですが、ひとりであること(孤独であること)、時代を生きること、自由であることの意味が問われています。目を閉じて/ひとりであることの強さと美しさ/凛として生きる/それが人間の未来につながる。
逗子 CINEMA AMIGO

太宰治原作『女生徒・1936』FB










































NPO法人淀川文化創造館シアターセブン

監督からのメッセージ2015.6.12
監督挨拶を考えていたら、「大阪にやって来た」という、歌を思い出しましました。確かそれがデビュー曲だと思います。友部正人(1950.5.25-)さんというフォークシンガー・詩人を、皆さんはごぞんじでしょうか。いま、確認すると、わたしと同じ学年だということがわかりました。
まず、冒頭の歌詞を紹介します。

「大阪にやって来た」1972.1友部正人 歌詞部分
南に下る道路には避難民があふれ
僕は10トントラックで大阪にやって来た
インターチェンジはいつも雨のにおいでいっぱい
だから僕はやせながらぬれて立つ
友だちもいつか名前だけになってしまうことを知っている
いつのまにか手をとりあうだけのエゴイズムと
すり変わってしまうんだ
長髪を風になびかせる自称ヒッピーたちさえ
新しいコートがなかなか肌になじまないことを知っている
ものすごくたくさんの広告がいろいろなスタイルを要求するけど
でも家をでることだけが自由じゃないと思うんだ
あれはいけない これがいいのさ でももう結構
僕は誰が素敵な奴かを知っている
この歌もヒットしましたが、同じ年に発表された「一本道」という名曲が
あります。
「一本道」1972.2 友部正人 歌詞部分
ふと後をふり返ると
そこには夕焼けがありました
本当に何年ぶりのこと
そこには夕焼けがありました。
お銚子のすき間からのぞいてみると
そこに幸せがありました
幸せはホッペタを寄せあって
二人お酒をのんでました
その時月がはなしかけます
もうすぐ夜があけますよ
僕は今 阿佐ヶ谷の駅に立ち
電車を待っているところ
何もなかった事にしましょうと
今日も日が暮れました
あヽ中央線空飛んで
あの娘の胸に突き刺され

夕焼け、中央線、阿佐ヶ谷駅。そして友部さんは、ギター一本背負いながら自転車に乗って、
吉祥寺駅周辺のライブハウスをまわっていたのを見たとがあります。
この中央線の範囲は、三鷹に住んでいた、太宰治の小説のにもでできます。
青春小説としての太宰作品、とりわけ、「女生徒」は戦中の少女の目を通して書かれていますが、ピアノ音楽担当の原將人さんも含め、われわれの青春時代(1967〜1973年)とイメージが重なります。そのことを意識して、この映画がつくられていることも確かです。


映画『女生徒・1936』「女生徒」シナリオから抜粋
佳子の声「インスピレーションと言ったら、大袈裟だけれど、何か身内にビュウッと走り去ってゆくものを感じた。哲学のしっぽ、そいつにやられて…」
佳子、軽く目を閉じ何かを感じている。
佳子「なぜ、このごろの自分がいけないのか。どうして、こんなに不安なのだろう。いつでも、何かにおびえている。この間も誰かに言われた」
○字幕
「あなたは、だんだん俗つぽくなるのね。」
○緑の草原
草の上に坐っている佳子。
佳子「私は、恋をしているのかも知れない」と言って、
草の上に仰向けに寝転がる。
仰向けに転がったまま、空を見ながら、
佳子「お父さん」と呼ぶ。
佳子「お父さん。夕焼けの空は綺麗です」
○中沢家・風呂場(深夜)
洗濯しながら、知らぬ顔の月に向かって、
佳子「私たちみんなの苦しみを、ほんとうに誰もしらないのだもの。いまに大人になってしまえば、私たちの苦しさ侘しさは、可笑しなものだった、となんでもなく追憶できるようになるかもしれないのだけれど、けれども、その大人になりきるまでの、この長い厭な期間を、どうして暮していったらいいのだろう。誰も教えてくれないのだ。…放って置くのは、いけないことだ」
洗濯をつづける佳子、洗濯する手を止めて風呂場を出る。
○同・庭(深夜)
縁側にいる佳子。
縁側から立って庭に出て空を仰ぎ見る佳子。
夜空に月が出てている。
佳子の声「私たち、こんなに毎日、鬱々したり、かっとなったり、そのうちには、踏みはずし、堕落して取りかえしのつかないからだになってしまって」
○字幕
一生をめちやめちやに送る人だつてあるのだ。
また、ひと思ひに自殺してしまふ人だつてあるのだ。
○夜空
月が出ている。
佳子の声「私たちは、決して刹那主義ではないけれども、あんまり遠くの山を指さして、あそこまで行けば見晴らしがいい、と、」
○同・庭(夜)
月を見上げている佳子。
佳子の声「それはきっとその通りで、みじんも嘘のないことは、わかっているのだけれど、現在こんな烈しい腹痛を起こしているのに、その腹痛に対しては、見て見ぬふりをして。ただ、さあさあ、もう少しのがまんだ、あの山…」
輝く星空。
佳子の声「…の頂上まで行けば、しめたものだ、とただ、そのことばかり教えている」
月を見上げている佳子。
○夜空
月が出ている。
字幕
きつと、誰かが間違つている。わるいのは、あなただ。


2010年に「自由に映画つくる・見せるシステムづくりを横浜から発信」することをめざし、「幻野映画プロジェクト」を正式に立ち上げ、ドキュメンタリー映画『私の青空・終戦63』の上映会を、横浜、海老名と開催し、2013年には長編劇映画『女生徒・1936』を完成させ、いわゆる自主製作、自主配給ということで、手探りで上映に取り組んできたところです。

いままでには、多くの方々に支えられながら、2013年6月15日(土)より太宰桜桃忌メモリアル・ロードショーとして、横浜シネマジャック&ベティでは4週間(一日2回)、立川シネマシティでは2週間(一日2回)の上映を行い、さらに、横浜では、神奈川県立青少年センターとの共催で、8月30日に4回上映を行い、引き続き、角川シネマ新宿にて、11月23日(土・祝)から2週間限定上映(一日2回)を行いました。
 また、2014年に入っては、3月に、かながわ女性センター(2回上映)、そして、6月には、神奈川近代文学館(2日、4回上映)での上映を実現させたところです。

さて、いよいよ、神奈川、東京地域を離れ、大阪での上映が実現することになりました。これからも、ひとつひとつの積み重ねよって、この幻野映画プロジェクトを育てていきたいと考えています。
今年(2015)は、資金面においても、さらに、この映画「女生徒・1936」の上映によって製作費を回収しながら次回作へと一歩踏み出したいと考えております。引き続き、ご支援、ご協力を、よろしくお願いいたします。


6月13日は、太宰治と山崎富栄が玉川上水に入水した日です。
そして、6月19日は、二人の遺体が発見された日ということと太宰治の誕生日でもあったことから、死の直前に書かれて作品「桜桃」にちなんで、この日を「桜桃忌」としています。
今年の6月13日(土)スタートの19日(金)までの一週間上映は、まさに、太宰治桜桃忌メモリアル・ウイークとなります。
劇場用予告篇
予告篇第一弾
予告篇(斜陽篇)「Schoolgirl in 1936」 英語字幕subtitled in English

昭和の戦争から敗戦へという時代に書かれた、女性の語りで書かれた太宰文学の名作、
「燈籠」「女生徒」「きりぎりす」「待つ」の四作品をもとに映画化されています。
ぜひ、この機会に、劇場に足をお運びください。

幻野映画プロジェクト
映画は一人の映画作家の表現であるとともに、参加するスタッフ、キャストによる集団創造として成り立つ芸術であると考え、日本映画の現状にある、何百万人の観客動員や何十億円の興行収入を競うといった大規模な映画産業的な展開からも、また、比較的低予算の何千万規模の製作費で作られ単館上映される映画とも違う、もう一つの、自由に映画をつくる・見せるシステムづくりを横浜から発信する。
映画製作から上映まで、新たな展開を指向するプロジェクトです。
(所在地)横浜市磯子区=代表 福寿祁久雄



















ポレポレ東中野http://www.mmjp.or.jp/pole2/

*原監督からメッセージです。
『あなたにゐてほしい』公開とトークショー開催にあたって!
                         原 將人

『あなたにゐてほしい』には、様々な要素が詰め込まれていて、作った料理人本人が分かっていないフルコース料理のようなものかもしれない。でも、何とも有り難いことに、それを解きほぐせそうなトークショーのプログラムが組めた。16ミリから始まり、8ミリ、ビデオ、35ミリ、ハイビジョンと渡り歩いて来た私の映画人生がつまったハイブリッドの超アート系映画(2/5 ハ 2/7)にして、観音崎まおりという女優が誕生する超アイドル系(2/8)のミュージカル映画(2/2)。テレビが無かった時代、天皇が生身で歩いた映像から始まる、メディアの戦後史(2/3 2/4 2/11)。そして戦死者から見た日本の未来・メディアの行く末(2/10 2/12)。そして、私が映画を作りながら問い続けている映画とは何か(1/31 2/9)?映画はなぜ音楽を求め続けるのか(2/1)?それが分からない為に映画を作り続ける私の問い。快くトークを引き受けてくださった皆さんのおかげで、謎も少しは解けそうだ。そして、私にとって懐かしい友人たちとの再会の場でもある。昭和30年代の後半机を並べて現代国語を競い合った友と何と半世紀振りに会える(2/6)。私が大島渚の元で初めて書いた商業映画の主役にも(2/3)。そしてラストの詩と音楽のコラボ(2/13)。
皆さん!ありがたう!ありがとう!ありがたう!そしてよろしく!








  • ※浅草東洋館に、ご来場いただいた皆さん、有り難うございました!




東洋興行株式会社の主催(企画:野上周)ということで、秋の芸術祭「太宰治の映画と朗読の夕べ」と題して、浅草東洋館(浅草演芸ホール4F)で、映画『女生徒・1936』の上映が行われます。
先着限定250名。入場料3000円(前売り2500円)、問い合わせは東洋興業株式会社03-3841-9606となります。よろしくお願いいたします。

久しぶりに、打ち合わせのために、浅草に行くと、やはり懐かしい感じがする。
これは、ちょっと古い話しになるが、1970年頃だろう、藤圭子の浅草での正月興行に出掛けて、
何故か「寅さん」映画も一緒に観るということが何年か続いた。
つくばエクスプレスの浅草駅の構内には、浅草にちなんだ、芸能人、文化人の看板が飾られている。
川端康成から沢村貞子まで、とにかく名前は知っている人ばかりだ。
 さらに、古い話だが、映画興業の始まりの頃(1920年代、無声映画時代で映画の人気があった)、
寄席でも、映画を上映してからやっていたということを双葉十三郎さんの本で読んだことがある。
だから、この東洋館でも、寄席の前後で上映できる映画(30分から60分)が作られてもいいのではないかと、単館映画館が潰れていく時代に、そんなことを思ったりもする。(福間雄三監督)

ちょっと気が向いたら浅草の街を歩いてみる。
太宰治の「語りかける言葉」に耳を傾けてみる。
小屋がはねたら酒好きの太宰治に倣って浅草で仲間と酒を交わす。
何か新たな発見と出会いが。






挨拶




劇場用予告篇

予告篇第一弾

予告篇(斜陽篇)「Schoolgirl in 1936」 英語字幕subtitled in English


太宰の「燈籠(とうろう)「女生徒」「きりぎりす」「待つ」の4作品に
「パンドラの匣(はこ)」「斜陽」の一節も引用される。
ドラマだけでなく、女性のせりふをナレーションや字幕で入れており、
それぞれの時代背景も字幕でしめす。太宰作品の女性たちが、
その言葉を通していきいきと描き出されている。
(略)読売新聞夕刊2013.11.22



映画「女生徒・1936」を紹介するための五つのポイント 2014.8.30

1.太宰の少女力を映画から読み解く
NKB48の「太宰治を読んだか」(2013.2.27発売)は、
先日MHKBS-3の「AKB48 SHOW」(2013.10.19放送)でも歌われ、
テーマは読書の大切さと友情だと語っています。
また、ファンの間では、かくれた名曲だともいわれています。
これは、現代の若者には、漱石や鴎外でもなく、
太宰治だというNKB48(=少女力)のユニットからのメッセージなのだと思います。
そして、過去の角川映画の惹句に倣っていえば、
「あなたは、太宰治を読んでから観るか、観てから読むか。」

2.日本映画の名監督、小津安二郎、溝口健二、山中貞雄は、
無声映画からスタートし、小津安二郎は、遅れてトーキー劇映画
『一人息子』を1936年に発表します。
映画「女生徒・1936」は、小津映画的なリズムともに、
映画の始まりである無声映画を意識して観るものに字幕を読んで
貰うことをやっている。そして、その字幕もまた、太宰の言葉、女性の語りでもある。
さらに、その言葉は、書き言葉としての「歴史的かなづかい」(字幕)で表記されている。

 映画「女生徒・1936」の作風は、観る言葉集と言ってもよいものです。
高野てるみ(『恋愛合格! 太宰治のコトバ66』の著者)

3.原作とシナリオの関係を、ロベール・ブレッソン監督の『ジャンヌ・ダルク裁判』
の裁判記録のように、太宰の小説の言葉を「現実」として取り込む映画ができない
かということの試みでもありました。(監督「自作を語る」)
映画のヒロインたち(少女たち)は演じるのではく太宰治の繊細なことばを現実に語りだす。

4.女性の語りで書かれた太宰作品『燈籠』『女生徒』『きりぎりず』『待つ』を加えた、
四作品をもとに、原作が書かれた時代(二・二六事件、日中戦争、太平洋戦争〜)
の中で読み解くこと、さらに、全共闘運動の盛り上がりとともに読んでいた
『斜陽』の一節にある「私は確信したい。人間は恋と革命のために生まれて来たのだ」と、
この映画の4人のヒロインたちが、『斜陽』のヒロイン「かず子」と、
うまく重ならないかなどと、シナリオの構成が考えられていきました。
(監督「自作を語る」)

5.この映画を通じて感じてほしいことですが、
ひとりであること(孤独であること)、時代を生きること、
自由であることの意味が問われています。
目を閉じて/ひとりであることの強さと美しさ/凛として
生きる/それが、3.11以降の人間の未来につながる。


*県立神奈川近代文学館に、ご来場いただきました皆さん
ありがとうございました!


  • 6月14日(土) 15日(日)1日2回上映①11:00②13:30 
  • 会場:県立神奈川近代文学館 展示館2階ホール 
  •    横浜市中区山手町110 港の見える丘公園内
  • (前売) 神奈川近代文学館ミュージアムショップ 4月5日(土)より発売(当日1200円の処1000円)
  • http://www.kanabun.or.jp/
  • 県立神奈川近代文学館では、生誕105年太宰治展ー語りかける言葉ー
  • が、4月5日(土)〜5月25日(日)まで開催されます。
  • また、次回の展示は、5月31日(土)〜7月27日(日)
  • 装幀=菊池信義とある「著者50人の本」展となります。







  • 3月22日江の島上映に、ご来場いただいた皆さん、ありがとうございました。
  • また、会場アンケートに、ご協力いただいた皆さん、ありがとうございました。
  • 寄せられた感想をご紹介します。(順不同)
  • ①太宰治を知ってみたいと思った。知らなかった面を知れた。確かに今を知る、革
  • 命的な人だと思った。(40代、女性)
  • ②太宰の原作を、登場人物の人選やロケーション、舞台のなど質素に表現され、
  • 正に「女子力」を発揮していた。『愛は命がけ』というが、太宰治は後世の生きる者に、
  • 真剣に生きることを教えてくれた。とくに、女の中の「少女」を赤裸々に
  • 演じていたのに感動しました。ありがとうございました。(70代男性)
  • ③横浜より二回目ということで、画面の美しさとセリフをじっくり味あわさせていただきました。
  • 横浜の時は、何かびっくりの方が先で...良さまでいきませんでした。
  • 女子力との結びつきがおもしろい。〈60代女性)
  • ④トークショーっていいですね。監督の思い等が聞けて良かったです。(40代女性)
  • ⑤女性の力(女子力)ー女性の言葉を活かして太宰治が言いたいことを
  • 美しいことばで言わせているノ。きれいな映像と音楽、そして空気感を楽しむことができました。
  • (50代女性)



  • ご来場いただいた皆さん、ありがとうございました!
  • 神奈川県立かながわ女性センターホール(江の島)にて、
  • 2014年3月22日(土)11時、13時50分の2回の上映が決定!
  • 映画を自由につくる・見せるシステムを横浜から発信する幻野映画プロジェクト(代表・福寿祁久雄)、江の島に上陸。
  • 幻野映画プロジェクト「女生徒・1936」上映会+トークショーを開催!
  • 共催:神奈川県立かながわ女性センター/NPO法人かながわ女性会議

    福間雄三(映画監督)×髙野てるみ(映画プロデューサー、シネマ・エッセイスト)

「太宰治に秘められた、今に活かせる女子力とは?」
     映画「女生徒・1936」に描かれた少女たちの持つ、強く美しい生き方。
     太宰と作品に秘められた、今の時代にこそ響く女子力についてトークします。


当日一般1,300円の処)特別鑑賞券(予約)1,000円で発売中!
チケットぴあ(Pコード 464-706)イープラス(http://eplus.jp)
      特別鑑賞券・予約申込/お問い合わせ:幻野映画プロジェクト 
      TEL 070-6979-0298(10時〜19時)Email net1895@mac.com
      *ご予約の場合は、当日ホール前で現金とのお引き換えとなります。


  • 言葉を味わうことができる映画に出会えてよかったです。(角川シネマ新宿・新津小霧)
  • 最後の斜陽の言葉、「人間は恋と革命のために生まれてきたのだ」でなぜだか涙が出てきて(角川シネマ新宿・深沢綾子)
  • この映画「女生徒・1936」は今の私の精神に語りかける映画でした。(立川シネマシティ・堂免沙樹子) 
  • 夫に当てて書いた手紙を燃やしてまう場面が一番好きでした。(立川シネマシティ・安藤実希)
  • 素晴らしいコメントをいただきました! 有り難うございました。COMMENT

特別寄稿
「ひとつの美しさ」 吉田孝之

 太宰治の「女生徒」を初めて読んだとき、この作品は映画にしたらさぞかし面白いものができるだろうと想像した。瑞々しい感性で弾むような、生き生きとした女生徒のモノローグを映像で表現する監督がきっと現れるはずだと思った。そして今日、ついにそれを実現した映画「女生徒・1936」を観た。ただし、女生徒だけでなく、女性をモチーフにしたそのほかの太宰作品3本(燈籠/きりぎりす/待つ)を合わせたオムニバスだった。
 それにしてもこれはなかなかいいアイデアだ。女性の独白は太宰治の得意とするところ。それを取り上げて短編のオムニバスに仕立てることで見えてくるものがある。なにが見えてきたか。一言でいうならば、女性の立ち位置の確かさ。戦争だ不況だと自らがこしらえた時代の波に右往左往する男がつくった社会がある一方で、自立してブレない存在としての女性の姿。孤独で不安だが、足元はしっかりしている。もちろんこれは福間監督が読み解いた太宰作品の側面ではあるのだが、そこにはだれしもが感じるであろう普遍性がある。
 太宰が描く女性は薄暗い社会状況の中で大きく揺れ動く感情を持っている。本作はその揺れの中にある芯のような前向きな意思を的確に捉え、ひとつの美しさとして表現した。土で汚れた中にちらりと光る水晶のような美しさ、それが太宰作品の魅力だと私は思う。
 また、私が「女生徒・1936」で印象に残ったのは映像の色彩と光だ。どちらかといえばモノトーンに近いイメージの太宰作品から色彩と光を取り出した場合、福間監督が表した映像はひとつの答えであるように感じた。色味や輪郭を強調しない絵作りとでもいえばいいのか、その上での昼の光や夜の撮り方には共感できる。このほか、映像と字幕(小説の一部や歴史年表)の組み合わせなどは、小説をテーマにした映画の試みとして注目したい。その要素の切り方に、観る側が自由なイメージをめぐらす余地がある。もう一度観たくなる映画だ。

(よしだ・たかゆき)編集者/画家  12月4日/角川シネマ新宿

 この映画のヒロイン達は皆、時代や世間、他者の価値観に依存しない。
彼女達は、依存という安寧にその身を沈めることができず、もがき、苦しみ、
しかし小さな希望を持って日常を紡ぐ。
 東日本大震災を経、これまで確固堅牢なるものと信じ依存してきた価値観が
一夜にして翻る経験を我々はした。

 そのような時代に、この映画と出会えたことは幸いなことである。

 他者への依存に馴染まず、異端の様相を呈しても尚、自らの尺度に
目を瞑ることができないヒロイン達は、
戦時下のきな臭い高揚感を孕む時代の空気と共鳴するように、
不安定に迷い揺れる。その、真摯すぎるが故の不安定さを見るとき、
かえって彼女達の純粋さが真味を増して胸に迫り、
美しいまでの強さが放たれるように感じられた。
 そしてその姿を目にし、我々が明日を進む一つの針路が
ここに示されているのではないか、そう感じた。
 他者への依存や既成概念の妄信ではなく、一人一人が自らの足で真摯に立つこと。
それは、単純なだけに、真っ直ぐに進む強い力を持つ。
そして、自らの足で立つ人間が集まることで、更に大きな力を
生むことができるであろう。

 問題が山積し閉塞感漂う現代に、この作品は、孤独と、そこから生まれる潔い強さ、
美しさを示してくれている。(角川シネマ新宿・30代・女性)*12月3日着

 繊細で美しい映像と、短調をメインとした音楽に大いに魅せられた。
美しく静謐な映像自体が、激しく揺れ動く思考を静かな日常が包むヒロインの
世界を更に大きく包み、それが、幾重もの静謐さで包まれた彼女達の激しい精神世界を
表現しているような感覚を味わえ、とても楽しかった。
 また、短調をメインにピアノとリコーダーで織りなされる音楽も、
耳にするたび切なさが胸に詰まった。
そして、胸が切なさでいっぱいになったところで音楽が途切れ、
その瞬間、一度に胸の切なさが解き放たれるのを感じた。
それはまるで、痛いほどの想いで胸が詰まったかと思えば、
急に空虚になるヒロインの感情の揺れ動きそのものを味わっているようで、
音楽からも映画を堪能でき、鑑賞の楽しさが倍増した。
「魂の美しさと強さ」ーそれを、物語・映像・音楽、全ての要素で味わうことができる映画だった。

(角川シネマ新宿・30代・女性・会社員)*12月2日着

角川シネマ新宿での2週間限定ロードショーは、
12月6日(金)で終了いたしました。
劇場に、足をお運びいただいた皆さん、ありがとうございました。




*特別鑑賞券の発売
チケットぴあ(Pコード 464-706)ローソンチケット(Lコード 38460)イープラス

マグカルフライデー/8月30日(金)、神奈川県立青少年センターでの、一日限定4回上映に、ご来場いただきました皆さん、有り難うございました。とても雰囲気のある、良い映画会となりました。また、ちょっと、少なかったのですが、今回参加された高校生や映画をつくりたいと思う方々は、ぜひ、映画をつくって、この会場(マグカルフライデー)で、じぶんたちで上映してください!ご健闘を祈ります。

横浜シネマ・ジャック&ベティでは、6月15日(土)から7月12日(金)までの四週間、
立川シネマシティでは、6月15日(土)から6月28日(金)までの二週間、ご来場いただきました皆さん、
なんども、足を運んで、応援してくださった皆さん、ほんとうに有り難うございました。
これから、都内、全国等、さまざまな上映に、取り組んでいきますので、引き続き、ご支援等、よろしくお願いします。

 太宰治桜桃忌(6月19日)メモリアルロードショーとして、横浜(立川)からスタートとし、好評を博した映画『女生徒・1936』の再上映が決定しました!夏休み・一日限定上映会が、マグカルフライデー/8月30日(金)に、横浜・紅葉坂、神奈川県立青少年センター・多目的プラザ(2F)で、下記のとおり開催されます。今回は、青少年センターと共催で高校生以下は、無料として、多くの若い方にも、ご覧いただきたいと企画されました。また、一般の方々も、1000円という特別料金を設定させていただきました。ぜひ、この機会に、いわゆる商業映画とは違う、手づくりの映画、もうひとつの、あらたな映画の世界を、ご堪能ください。
 また、とりわけ、中高校生の皆さん、「映画は見るだけものではなく、自由にじぶんでつくるものだ」
という監督からメッセージが、上映終了後に予定されています。お楽しみに!
日時:8月30日(金)一日限定上映
11:00/13:30/16:00/18:30(4回上映)
料金:一般/1000円、高校生以下/無料
お手数ですが、申込・予約制(先着順)です。事前申込をお願いします。電話070-5544-0782 Email mal-paso@mal-paso.com
*マグカルフライデーのご案内
*チケット販売 

イープラス
チケットぴあ(Pコード 464-706)
ローソンチケット(Lコード 38460)
*8月30日のチケットの購入者は、お手数ですが、申込の電話かメールで時間指定のご連絡をください。
(終了しました。)

映画『女生徒・1936』予告篇 第一弾
6月15日(土)より横浜シネマ・ジャック&ベティと立川シネマシティにて同時上映が決定!
11月23日(土・祝)より角川シネマ新宿にて2週間限定ロードショー決定!
かながわ女性センターホール(江の島)にて、2014年3月22日(土)11時、13時50分の2回の上映が決定!


映画『女生徒・1936』斜陽篇 
「Schoolgirl in 1936」 英語字幕subtitled in English
11月23日(土・祝)より角川シネマ新宿にて2週間限定ロードショー決定!
かながわ女性センターホール(江の島)にて、2014年3月22日(土)11時、13時50分の2回の上映が決定!

劇場用予告篇
横浜シネマ・ジャック&ベティ6月15日(土)から2週間は10時30分と12時30分の2回上映となります。
立川シネマシティ6月15日(土)から12時20分と17時05分の2回上映です。(2週間限定上映)
11月23日(土・祝)より角川シネマ新宿にて2週間限定ロードショー決定!
かながわ女性センターホール(江の島)にて、2014年3月22日(土)11時、13時50分の2回の上映が決定!

監督・スタッフ・キャストの舞台あいさつ等のお知らせ
立川シネマシティでは、
6月28日(金)12時20分開始の回終了後(14時06分頃)福間雄三監督、真砂豪(出演)さん、岡本裕輝(出演)さん、本間健太郎(出演)さん、桜井淳美(出演)さんの舞台あいさつがあります。(終了しました。)

横浜シネマ・ジャック&ベティでは、
6月29日(土)の15時00分の回終了後(16時46分頃)、福間雄三監督と音楽(リコーダー演奏)の高野浩一さんの舞台あいさつと、その後、近隣カフェでの交流会が予定されています。(終了しました。)
6月30日(日)15時00分の回終了後(16時46分頃)、福間雄三監督と福寿祁久雄さんのトーク。(終了しました。)
7月6日(土)13時00分開始の回終了後(14時46分頃)、福間雄三監督と赤井成一さん(前作『私の青空・終戦63』出演者)のトーク。(終了しました。)
7月7日(日)13時00分開始の回に音声ガイド付き上映。
その後、近隣で交流会を開催予定。(終了しました。)
7月10日(水)18時30分開始の回終了後(20時16分頃)、福間雄三監督、柴田美帆さん、川原崎未奈さん、岡本裕輝さん、真砂豪さんの舞台挨拶。
7月12日(金)(最終日)18時30分開始の回終了後(20時16分頃)、福間雄三監督の舞台挨拶が追加されました。(終了しました。)

金子遊氏の寄稿「銀幕の上でデュラスと太宰が出会う美しさ」 [ch0]

原作:太宰治(角川文庫刊)(『太宰治全集』筑摩書房刊)
製作:福寿祁久雄 プロデューサー:櫻井陽一 脚本・監督: 福間雄三
撮影:根岸憲一 照明:THOMAS TKAMURA 美術:畠山和久 録音:田邊茂男 
音楽:原將人、高野浩一 編集:福間雄三 整音・音響編集:田邊茂男 衣裳:佐藤真澄 メイク:貴島貴也 
出演:柴田美帆、川原崎未奈、真砂豪
岡本裕輝、コンタキンテ、金子ゆい、本間健太郎、松下京子、真砂皓太
企画:幻野映画プロジェクト 製作:幻野映画事務所 HD/カラー/劇映画/上映時間106分/2013/GEN-YA FILMS

80年も前に放たれて太宰の言葉の矢が、現代の女生徒たちの胸を射る。
君は息切れしていないか?
君は飛びつづけていられるか?
そして好きな人に正直に好きだときっぱりと云えるか?
しかも何より生きている確信がコトンと自分の中で落ちる音を聞いたことがあるか?
福間雄三監督の『女生徒・1936』は、そんな魂の息吹の落ちるコトンという音を正確に再現した。
(田中じゅうこう・映画監督)COMMENT

監督からのメーセージ
約三年間の製作期間中に、2011.3.11の東日本大震災と原発事故が起きたこともあって、「なぜ、いま、太宰治なのか」と自問しつづけて来ました。それは、戦争から敗戦へという、同時代を背景に書かれた文学作品を読み解くことが、「第二の敗戦」と呼ばれる3.11以降を考えるヒントになるのではないか(太宰は特別に戦争そのものを書くことはしていない)、そして、この映画を通じて感じてほしいことですが、ひとりであること(孤独であること)、時代を生きること、自由であることの意味が問われています。目を閉じて/ひとりであることの強さと美しさ/凛として生きる/それが人間の未来につながる。 監督ノート


太宰は一人称の短編は音読、よみながらセリフのように書いたそうですね。
作品自体が、文学のなかの肉体性を捉えなおす(ための)テキストになっていると思いました!
(若木康輔・ライター)COMMENT