Column of 太宰治原作「女生徒・1936」


映画「遺書」はコメディ映画である。

ディスプレイの宏司B.jpg 2009年5月2日だった。映画「私の青空・終戦63」のインタビューをやっているときに、「したまちコメディ映画祭in台東」のコンペティション作品募集の話を福寿さんにした。20分以内のコメディ映画で、審査員にいとうせいこう、賞金50万円、7月14日が締め切りだというチラシを見せる。福寿さんは、すぐに電話をしていた。相手は、助監督・製作主任を担当してくれた中垣君だった。とにかく企画を考えてみようということだったが、福寿さんは、そのとき、すでに「やさしいストーカー」という案を持っていた。その後、中垣君の「遺書を残して死のうとする男」の話が加味され、福寿さんの原案ができあがった。

あらすじ
弓道着姿の朝子.jpg 35歳のサラリーマンだった田中宏司は、この二年間、配置転換、うつ病、休職、研究現場への復職、リストラという状況の変化の中で戸惑いながらうつ病を再発させたいた。現在は、うつ病の治療を受けながら、再就職の意欲もなく、無為に時を過ごしていた。精神科の医師の勧めから、近くの埠頭で海釣りのまねごとを始める。そこで、颯爽とジョギングする女性(朝子)に目を奪われる。しかし、彼女に声を掛けることができないまま、ストーカー的行為に及ぶ。また、宏司はパソコンで日記のようなものを書き始める。その日記が朝子へのラブレター、さらに遺書へと変化し、言葉(文字)は渾然とした「遺書」のように、部屋の壁一面に貼り付けられていく。さて、宏司は覚悟して死ぬことができるのか。そして、宏司は朝子に真意をどう伝えることことができるのか。宏司の部屋にはもうひとつの異変が起きていた。

映画は無声映画のように、
台詞の代わりに文字(言葉)そのものが映し出され、主人公の宏司自身は声を発することなく、パソコンに打たれる文字、プリントアウトされる文字、壁に貼られた文字で語られていく。宏司の部屋の中では「宏司起きろよ。宏司!」「助けてくれ。宏司、助けてくれ」と壁の文字に埋もれて眠る宏司を呼ぶ声が聞こえてきた。

言葉はただのコミュニケーションの道具ではない。
ディスプレイの宏司A.jpg
人はひとりでは生きていけない。

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静止画・遺書4.jpg

福間雄三プロフィール

 1951年(昭26)生まれ。高校時代から8ミリフイルムで短編映画を作る。作品に『朝・モチーフ・イメージ』67、『荒野』68、『赤い靴』76など。2002年にウェブサイト「ネット・リュミエール」を立ち上げ、主に横浜の映画館の特集上映(深作欣二、黒澤明からゴダールまで)などで見た作品の批評を掲載する(約450本)。また、2007年3月に設立した幻野映画事務所では、映画『岡山の娘』08の製作に関わるとともに、記録・編集を担当。2009年7月には映画『遺書』とともに、ドキュメンタリー映画『私の青空・終戦63』を完成。横浜を拠点に、上映も視野に入れた、新たな映画づくりの展開を図る。