「女生徒・1936」Story of 太宰治原作「女生徒・1936」

女性の語りで書かれた太宰文学の名作
「燈籠」「女生徒」「きりぎりす」「待つ」の四作品をもとに映画化。

「私は確信したい。人間は恋と革命のために生まれて来たのだ」

<オープニング>
・関東地方の一帯に珍しく大雪が降った。その日に、二・二六事件といふものが起こった。私は、ムッとした。どうしようと言うんだ。何をしようと言うんだ。実に不愉快であった。馬鹿野郎だと思った。激怒に似た気持ちであった。プランがあるのか。組織があるのか。何も無かった。狂人の発作に近かった。組織の無いテロリスムは、最も悪質の犯罪である。馬鹿とも何とも言いようがない。このいい気な愚行のにおいが、所謂大東亜戦争の終わりまでただよっていた。(太宰治「苦悩の年鑑」)

1.『灯籠』( 原作発表年/ 1937)  
咲子の声「盗みをいたしました。それにちがいはございませぬ。いいことをしたとは思いませぬ。けれども、——いいえ、はじめから申し上げます。私は、神様にむかって申し上げるのだ、私は、人を頼らない、私の話を信じられる人は、信じるがいい 神様に向かって申し上げるのだ。」

2.『女生徒』 ( 原作発表年/1939)
佳子の気持ちと、私が十代だった頃(1960年代後半)のじぶんの気持ちを重ね、パラレルなものとして意識して再構成している。ここでは、特に、ロベール・ブレッソンの「ジャンヌダルク裁判」のようにできないかと考えていた。それは、太宰の言葉を忠実に記録し、そのまま、いまの時代に通じさせたいということだった。(福間監督)

16歳の少女の意識の流れは、川の流れのように、さまざまに変化したゆたう。字幕、佳子の声、佳子の台詞が、渾然としていく。
佳子「なぜ、このごろの自分がいけないのか。どうして、こんなに不安なのだろう。いつでも、何かにおびえている。この間も誰かに言われた」
字幕「あなたは、だんだん俗っぽくなるのね。」
佳子「そうかもしれない。私は、たしかに、いけなくなった。くだらなくなった。だしぬけに、大きな声が、ワッと出そうになった」
佳子の声「ちぇっ、そんな叫び声あげたぐらいで自分の弱虫を、ごまかそうたって、だめだぞ。もっとどうにかなれ」

3.『きりぎりす』 (原作発表年/ 1940)
智子の声「いい画さえ描いて居れば、暮らしのほうは、自然に、どうにかなって行くものと私には思われます。いいお仕事をなさって、そうして、誰にも知られず、貧乏で、つつましく暮らして行く事ほど、楽しいものはありません」
手紙文「私は、お金も何も欲しくありません、心の中で、遠い大きいプライドを持つて、こつそりと生きてゐたいと思ひます」
太宰は、一方で、清貧だけでは生きられないという「清貧譚」1941という作品も書いている。それも、十分説得力があって読ませる。

・中国との戦争はいつまでも長引く、たいていの人は、この戦争が無意味だと考えるようになった。転換。敵は米英ということになった。
(太宰治「苦悩の年鑑」)

4.『待つ』(原作発表年/1942) 
葉子の声「言いたくもない挨拶を、いい加減に言っていると、なんだか、自分ほどの嘘つきが世界中にいないような苦しい気持ちになって、死にたくなります」
葉子の声「待っている。もっとなごやかな、ぱっと明るい、素晴らしいもの、なんだかわからない。やっぱり、ちがう。」

<エンディング>
「パンドラの匣」(原作発表年/1945)
「その石に幽かに「希望」という字がかかれていた。」

「斜陽」(原作発表年/1947)
「私は確信したい。人間は恋と革命のために生まれて来たのだ」