資料
幻野映画事務所の設立について 福間 雄三 2007.3.24
高校時代の8ミリ短編映画の制作(1967年『朝/モチーフ/イメージ』、1968年『荒野』)から、1968年全国高校映画祭の開催など、自主製作映画にかかわる。その後、1976年に8ミリトーキー映画『赤い靴』(60分)を制作し、さらに、1980年に8ミリ映画「青空」制作を「幻野プロダクション」として計画するが、撮影中止となった経緯がある。(なお、「幻野プロダクション」としては、1981年に16ミリ映画『西風』37分(田中重幸監督作品)を製作する。)
従って、今回の「幻野」の名称とともに、立ち上げる「幻野映画事務所」設立は、27年前のリターン・マッチという意味でもあり、そして、この「幻野」という言葉は、北川透(詩人・評論家)の「詩とコンミューン」という副題をもつ著書『幻野の渇き』(1970.9.25)から映像的に喚起されたものである。
この著書は冒頭「夢見られたコンミューン」から始まり、この標題作は、巻末に置かれている。「〈民衆〉の閉ざされた闇の幻野を」解放するための〈革命〉、「ひからびた闇の河底を歩く魚たちの渇きを」眼に焼きつけねばならないという、民衆論の試みとして書かれたものだ。
「幻野映画事務所」の設立は、60年代後半、われわれが見ただろう、「映画の夢」の実現に、いまいちど、賭けてみようということだ。それには、表現者として、あるべき「自己批判」の徹底とともに、なにもなしえていないという認識を共有しつつ、映画をつくることを自由に楽しみ、少なくとも、この10年を生きてみたいという企てへの呼びかけである。
また、今回の設立にあたって、生産者協同組合、有限責任組合(LLP)など、いくつの組織形態について検討した結果、新しい会社形態である、合同会社(LLC)を一人で立ち上げるという結論にいたったが、当面は、個人事務所として、第1回作品『岡山の娘』の製作をすることとする。
今後、法人化(LLC)し、さらに、有限責任組合(LLP)を生かした、大きな協同事業の展開も視野に入れながら、いままでに、どこにもない自由なやり方で、自由な映画が撮られていく。そんな、制作から上映までの、新たなシステムづくりを目指していきたいと思う。
『注文のない料理店』→シナリオや映画を商店の品物と同じように、『幻野映画事務所』では手にとって見られるようにする。具体的には、シナリオは作品として発表し、さらに映画化できるものは、制作費100万〜300万円規模のデジタル・ビデオ作品として、映画(DVD)化し上映(販売)活動を行う。
※注文のない料理店「シナリオライターは、商店と同じで品物がないといけないというのが、僕の考えなんですね。だから注文がなくても書きためておく。」「五日で書くんです。考えてから一気呵成にやってしまう。」
(新藤兼人『作劇術』シナリオづくり・新藤流p360-)
プロデュースする→1965年につくられた世界的に著名な映画監督の大作に、デビット・リーン監督『ドクトル・ジバコ』と黒澤明監督『赤ひげ』がある。そして、日本での公開は遅れたのだが、ジャン=リュック・ゴダール監督『気狂いピエロ』がある。われわれは、1967年7月7日にATGで公開された映画『気狂いピエロ」を見ることで、「これが映画だ」と歓喜し絶賛した。それ以降も、ゴダールの全作品に強く加担し、現在も、ゴダール映画とともに生きつづけている。
ここで、ゴダールとその周辺にかかわった、二人の映画プロデューサーを想起しよう。ジュルジュ・ド・ボールガール1920-1984は、イタリアのカルロポンティと1960年ローマ-パリ・フィルム設立し、『勝手にしやがれ』をプロデュースする。それ以降も『小さな兵隊』『女は女である』『カラビニエ』『軽蔑』、そして『気狂いピエロ』と続く。
また、もう一人。ピエール・ブロンベルジェ1905-1990は、19歳でルネ・クレール『幕間』、ルノアール『水の娘』『女優ナナ』、ブニュエル『黄金時代』、リヴエット、ゴダール『水の話』『女と男のいる舗道』、トリュフォー『ピアニストを撃て』などをプロデュースする。こうした意味のプロデュース業も、この「幻野映画事務所」の役割であると考える。
デジタル・ビデオホールの確保→映画事務室と編集室、スタジオ(リハーサル室)、そしてデジタル・ビデオホールを確保し、コンパクトで自由な映画製作を展開する場を提供していく(5年後に実現を目指す)。当面は、横浜では、『福寿シネマ』等と連携していく。
新たな「インタネット・サイト」を構築→映画(シナリオ)批評の新たな構築とHD画質の映像展開を図る。当面、一日アクセス数500件(月15000件)を目指す。基本的には、現在の福間雄三個人サイト「ネット・リュミエール」をベースに再構築する。
(映画にもまだ可能性がある?)
「人の心を打つものや、真実や正義を訴える真面目なもの、人生で一番肝心なものがいまは素通りされている。」
「何か主張を持ったもので成功する見本を見せて、そのことで若者も勇気つける。・・・・・・そういう見本という意味では、山中貞雄ですよ。面白い、それでいて技術がある。センチメンタルだ。いい要素をみんなそなえていますね。弱きを助け、強きを挫くという考えも入っている。・・・最後に『人情紙風船』1937、絶望的でも美しい。それは肝心なことだと思いますね。それには、技術と志がなきゃいけない。主義主張だけでは魅せることはできない。それを美しく装っていくとうことがないと駄目です。・・・映像はまだまだ新しい魅力が期待できますよ、表現方法の面でも試みをやっていかないと完成しない。」(新藤兼人『作劇術』シナリオづくり・新藤流)