「女生徒・1936」監督ノート of 太宰治原作「女生徒・1936」

監督からのメーセージ(全文)

なぜ、いま、太宰治なのか①

太宰作品では、1937年から1945年終戦までの、戦争中であるにもかかわらず、精力的に執筆活動を行ったこの時期に、『富獄百景』『東京八景』『黄金風景』『お伽草紙』などたくさんの秀作があります。この時期の作品から、私の好きな作品を題材に、この映画『女生徒.1936』をつくりました。約三年間の製作期間中に、2011.3.11の東日本大震災と原発事故が起きたこともあって、「なぜ、いま、太宰治なのか」と自問しつづけて来ました。それは、戦争から敗戦へという、同時代を背景に書かれた文学作品を読み解くことが、「第二の敗戦」と呼ばれる3.11以降を考えるヒントになるのではないか(太宰は特別に戦争そのものを書くことはしていない)、そして、この映画を通じて感じてほしいことですが、ひとりであること(孤独であること)、時代を生きること、自由であることの意味が問われています。それが人間の未来につながるといえるのではないか、と。(2013.1.8)

太宰文学は多くの人に読まれている

 新潮文庫の2005年の調べによると、太宰治の『人間失格』は、夏目漱石の『こころ』に次いで、文庫本の発行部数が第2位になっている。両者とも、発行が1952年、累計が600万部超ロング・ベストセラーとなっている。次いで『斜陽』が第10位、発行が1950年、累計が400万部超の、これも超ロング・ベストセラーである。
太宰文学のベスト5は、次いで『走れメロス』『晩年』『津軽』の順になっているのだが、これらも本の勲章ともいえる、ミリオンセラーという100万部を超えている。太宰作品は、これだけでも、トータルで、1300万部超売れていることになる。日本文学の古典・名作として、大変の多くの人々に読まれいることがわかる。
 もちろん、太宰はこれだけではない。感銘深く記憶されている作品を思いつくまま挙げてみよう。『ヴィヨンの妻』『富獄百景』『東京八景』『黄金風景』『お伽草紙』『親友交歓』『姥捨』『駆け込み訴え』『トカトントン』『未帰還兵の友に』『満願』などがある。
 太宰の作品では、中期と呼ばれ1937年から1945年終戦までに、戦争中であるにもかかわらず、精力的に執筆活動を行った時期の、その中で、女性を一人称にした短編小説集『女生徒』(角川文庫)から、四つの作品を選んで、一本の映画にできないかということを考えながら、1937年の『燈籠』。1939年の『女生徒』、1940年の『きりぎりす』、1942年の『待つ』と並べ、その時代の流れも、冒頭に、『苦悩の年鑑』の一節にある、「二・二六事件」〔1936年〕を置き、太平洋戦争の始まる『待つ』に、敗戦後、すぐに新しい時代への希望を抱いて書かれた『パンドラの厘』1945、さらに14年前を振り返る『斜陽』1947の一節が引用される構成になっている。(2013.1.10)

この映画はブレッソンの影響からできている

「女生徒」の佳子の気持ちと、私が十代だった頃(1960年代後半)のじぶんの気持ちを重ね、パラレルなものとして意識して再構成している。ここでは、特に、ロベール・ブレッソンの「ジャンヌダルク裁判」のようにできないかと考えていた。それは、太宰の言葉を忠実に記録し、そのまま、いまの時代に通じさせたいということだった。また、とりわけ、この「女生徒」に使われている原將人のピアノ曲は、わたしには、当時のイメージを喚起するものとなっている。(2013.1.10)

1936

今日は大島渚監督の葬儀だった。『女生徒・1936』の冒頭に、太宰が、2.26事件(1936)に触れた一文(「苦悩の年鑑」)を引用している。「その二・二六事件の反面に於ひて、日本では、同じ頃、オサダ事件といふものがあつた。」と。これを読んだときに、これは大島監督の『愛のコリーダ』だと思う。映画には、雪降るなかを吉蔵(藤竜也)がひとり、青年将校の隊列とすれ違っていくシーンでがある。この時代を簡潔に映像化したものだった。きっと大島監督は、この太宰を読んでいる違いないと確信しつつタイトルを「女生徒・1936」とし引用することに決めた。(2013.1.22)

「観客も私が感じ感動した事を感じ取ります。」(ブレッソン)

ロベール・ブレッソン監督が『スリ』という映画を1960年に公開したときのTVインタビューに答えている(終始、インタビュアは、反感をもった聞き方になっている)。

Q:しかし、大衆が映画で観たがる物にそっぽを向いています。その認識は?
ブレッソン:そんなことは考えてもみません。観客を無視しませんが、観客が私を無視するのか。私は仕事の中で、経験を重視する。撮り終わったら、観客に混じって観客の感じる事を感じたい。楽しんでくれる事も多い。観客も私が感じ感動した事を感じ取ります。(略)

Q:その根拠は?
ブレッソン:どうでしょう、私は思うに、来たるべき映画表現およびきたるべき映画作品は、ますます、演劇から離れて行き、それは演劇の手法と異なる手法を用いるはずです。

Q:20年後には、今日の名作の大半は消えていると?
ブレッソン:わかりません。

ブレッソン監督作品の多くは文学作品を原作にする一方で、プロの俳優を起用していない。それでいて、大胆でかつ繊細な作品をつくりあげ、原作にある文学的表現を、さらに高めることに成功している。それが、ひとつの映画表現になっている。「映画とはなにか」という問いには欠かせない映画作家である。ゴダールも撮影現場に立ち会い、『少女ムシェット』1967の予告篇をつくるなど親交を深め、ブレッソンの著書『シネマグラフ覚書』からも多くを引用している。

Q:孤独では?(最後の質問)
ブレッソン:孤独ですが、孤独は最高の快楽です。

と答えている。ここまで言い切ることに身震いを感じるし、比べるべくものないのだが、太宰治を原作とする、この『女生徒・1936』は、ブレッソンを意識してつくられている。この「孤独」は、『すり』の主人公ものでもあり、それに興味をもたずにいられない監督の目でもある。太宰のヒロインにも、ひとりであること(孤独であること)の意味が問われている。(2013.1.27)