- 2007年3月 幻野映画事務所を設立。
- 2009年7月 映画『私の青空・終戦63』/映画『遺書』完成
- 2009年10月31日 第1回上映会開催(映画『私の青空・終戦63』)/横浜
- 2010年4月1日 「幻野映画プロジェクト」正式に発足(規約)
- 2010年8月7日.14日 第2回上映会開催(映画『私の青空・終戦63』)/横浜/海老名
- 2013年2月1日 映画『女生徒・1936』完成
- 2013年6月15日〜6月28日 映画『女生徒・1936』立川シネマシティ(2週間上映)
- 2013年6月15日〜7月12日 映画『女生徒・1936』横浜シネマジャック&ベティ(4週間上映)
- 2013年8月30日 マグカルフライデー/映画『女生徒・1936』/神奈川県立青少年センター(4回上映)
- 2013年11月23日〜12月6日 映画『女生徒・1936』角川シネマ新宿(2週間上映)
- 2014年3月22日 映画『女生徒・1936』かながわ女性センターホール(2回上映)
- 2014年6月14日.15日 映画『女生徒・1936』文芸映画を観る会/神奈川近代文学館(4回上映)
- 2015年6月13日〜19日 映画『女生徒・1936』大阪シアター・セブン(1週間上映)
- 2016年8月26日 マグカルフライデー/映画『私の青空・終戦63』/神奈川県立青少年センター(4回上映)
幻野映画プロジェクトについて(2009.9.4) 福間雄三
1.2008年5月頃から、ドキュメンタリー映画『私の青空・終戦63』(福間雄三監督作品)を企画し、8月から青空の風景の撮影、10月からインタビュー撮影を開始する。撮影・録音・編集を一人でやりながら、その素材をもとに、再構成していくという作業を繰り返し、二人のインタビュー構成に字幕と朗読を加える。シナリオとともに1本の映画ができあがっていた。2009年7月30日に完成。
2.映画『遺書』(福間雄三監督作品)は、福寿祁久雄総指揮のもとに、最小のスタッフを編成し、一部キャストもスタッフ協力するという体制で、2009年7月上旬の4日間の撮影を実施。7月12日に20分バージョンを完成。その後、7月22日に23分バージョンにし、それを完成版とした。
○「幻野映画事務所」の設立から幻野映画プロジェクトへの試みが、2本の映画の完成とともに、スタートしていたことがわかった。
3.それは、志を同じくするものが何人かが集まり、ある目的や目標に向かうというものでなく、とにかく、ひとりが映画をつくることを始め、その映画をつくることを通じて得られたスタッフ(キャスト)が、いま、絶妙な関係をつくり出している。現在、とにかく、もう1本の映画をつくるという機運が盛り上がっている。
4.しかし、映画は上映されなければならない。
○幻野映画プロジェクトは第1回上映会を開催する。
じぶんたちの資金で映画をつくり、じぶんたちで映画を上映する。これは、日本の映画界では、古くから「自主製作・自主上映」という言葉で言われてきた。それは、いま、われわれがやろうとしていることとは違う。われわれは、いかに低予算で映画をつくり、じぶんたちの手で確実に資金を回収し、さらに、すこしでも収益をあげられないかと考える。そこで、あと問われるのは、つくられた映画の内容ということになる。
○ 制作から上映までの、新たなシステムづくりを目指す。
これは、もう、実践して見せるしかない。しかし、急ぐことはない。そこには、さまざまな試行錯誤が積み上げられていく。あえていえば、映画をつくることを自由に楽しみ、いままでに、どこにもない自由なやり方で、自由な映画が撮られていく、と。
5.日本映画の現状にある、何百万人の観客動員や何十億円の興行収入を競うといった大規模な映画産業的な展開から、比較的低予算の何千万規模の製作費で作られ単館上映される映画とも違う、もうひとつの新たな、映画をつくる・見せるシステムを目指す。
6.当面、製作費10万〜200万規模のデジタル・ビデオ作品を制作し自主上映する。また、撮影場所は横浜近辺、撮影スタッフ・キャストは横浜在住を原則とし、スタッフ・キャストが一体となった、あらたな集団創造方式を模索する。そのためには、映画を実際につくるという実践を積み重ねていくしかないと考える。
7. 自主公開、自主上映の会場については、当面は横浜市内の公共施設とするが、桜木町、関内駅周辺の常設的な会場を考えていく。ここでは、福寿シネマの動きとも連動させ、さらに「デジタル・シネマホールの確保」という構想に繋げていく。
8.新たな「インターネット・サイト」の構築
これは映画『私の青空・終戦63』の公開とも連動させるとともに、新たな映画批評、シナリオ批評の場とする。当面、一日のアクセス数500件を目指す。